當ページは、院生やOB等の個人的な意見ではありますが、中國哲學研究室に入りたいと思つている方に對して參考になればと思つて作りました。又中國哲學に興味がない方、或いは「中國哲學」なるものを當サイトにて初めて知つたといふ方に對しても當サイトを訪れる以前より少しでも「中國哲學」といふものに親しみを持つて頂けますれば其れ以上の悦びはありません。

研究室のマスコット(名前を募集して早5年……未だ名無し……)
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學びて時にこれを習う…と来ますから、第一印象の好かろうはずがありません。
人が、「他者を渇望する」といふ經驗をすることは稀かと存じます。ところが中國哲學研究室といふ環境は人口が尠い爲、他所の専攻や學部からわざわざ授業を受けに來てくれる方に對する有難味は、人口の多い専攻所属者の比ではありません。御客樣は神樣なのであります。
從つて、かういう外部の人に對して非常にサービス精神が旺盛になります。繋ぎ止めておくのに必死となる訣です。
當研究室で出來る主なサービスといふと、勉強のお手伝い、コーヒー・紅茶或いはお菓子の提供などがあります。「飴と鞭」などといふ概念は存在しません。しかしながら學部生の身分では、畏れ多くもいきなり勉強を教へる等といふ事が出來る筈もありません。從つて、まづ自分が勉強する必要が發生する訣です。人間は、ただ漠然と勉強をするよりも、此の樣に目的意識を持つて勉強をする方が得てして效率的に勉強が進むものです。一石二鳥ですね。
「お茶汲みなんて、けっ」などと馬鹿にしてはいけません。そんな精神的余裕もありません。繰返しますが、御客樣は神樣なのです。といふことは供物を捧げるのは当然の行爲でありませう。何にせよ、美味しいコーヒーや紅茶を淹れられた時など自分でも気分が良いですし、人に美味しいと思つて貰えれば嬉しいし誇らしい氣分になるものです。
此樣な他人に對する或る種の「寛容性」(違)といふものはとても大切だと思ひます。勿論受け容れ放しでは問題がありますが。例へば、就職試驗に於る面接等で相手してくれる人は、自分の先輩となる人やもしれません。先輩からしてみれば、人懷つこくきゃんきゃんと擦り寄つてくる後輩はそれなりに可愛く感じるものです。「窮鳥懷に入れば獵師もこれを殺さず」といいます。