感覚と表象-----5つのテーマを巡るフランス文学散歩

文学研究科 フランス文学 加藤靖恵

 

1.異国の薫り------シャルル・ボードレール『悪の華』(1857)XIII 髪」

XIII La chevelure

Ô Toison, moutonnant jusque sur l'encolure !

Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir !

Extase ! Pour peupler ce soir l'alcôve obscure,

Des souvenirs dormant dans cette chevelure,

Je la veux agiter dans l'air comme un mouchoir!

 

La langoureuse Asie et la brûlante Afrique,

Tout un monde lointain, absent, presque défunt,

Vit dans tes profondeurs, forêt aromatique!

Comme d'autres esprits voguent sur la musique,

Le mien, ô mon amour ! nage sur ton parfum.

 

J'irai là-bas où l'arbre et l'homme, pleins de sève,

Se pâment longuement sous l'ardeur des climats ;

Fortes tresses, soyez la houle qui m'enlève!

Tu contiens, mer d'ébène, un éblouissant rêve

De voiles, de rameurs, de flammes et de mâts :

 

Un port retentissant où mon âme peut boire

À grands flots le parfum, le son et la couleur ;

Où les vaisseaux, glissant dans l'or et dans la moire,

Ouvrent leurs vastes bras pour embrasser la gloire

D'un ciel pur où frémit l'éternelle chaleur.

 

Je plongerai ma tête amoureuse d'ivresse

Dans ce noir océan où l'autre est enfermé;

Et mon esprit subtil que le roulis caresse

Saura vous retrouver, ô féconde paresse,

Infinis bercements du loisir embaumé!

 

Cheveux bleus, pavillon de ténèbres tendues,

Vous me rendez l'azur du ciel immense et rond ;

Sur les bords duvetés de vos mèches tordues

Je m'enivre ardemment des senteurs confondues

De l'huile de coco, du musc et du goudron.

 

Longtemps ! toujours ! ma main dans ta crinière lourde

Sèmera le rubis, la perle et le saphir,

Afin qu'à mon désir tu ne sois jamais sourde!

N'es-tu pas l'oasis où je rêve, et la gourde

Où je hume a longs traits le vin du souvenir ?

(Charles Baudelaire, Les Fleurs du mal, Larousse « Petits Classiques », pp. 54-55)

 

おお、頸の上までふさふさと波打つ髪よ!

おお、髪の環よ! おお、物憂さのこもった香りよ!

恍惚よ! 今宵、うす暗い臥所を、

この髪の中に眠る思い出の数々でみたすために、

髪を、ハンケチさながら、宙に打ち振りたいと思う.

 

けだるく疲れ臥すアジア、灼熱に身をこがすアフリカ、

遥かな、在らぬ、ほとんど死に絶えた一世界がそっくり、

お前の深みの中に生きている、芳香をたたえた森よ!

ある人々の精神が音楽の上を漕ぎ渡るように、

私の精神は、おおわが恋人よ! きみの香りの上を泳ぐ.

 

精気に溢れた樹木も人も、炎熱の風土の下に、

恍惚たる眠りをむさぼる、かの地へ私は行こう.

たくましい編み毛よ、大波となって私を運び去れ!

黒檀の海よ、お前の中にこもっているのは、船の帆と

漕ぎ手たちと吹き流しと帆柱との、目にもまばゆい夢.

 

響きにみちたこの港に、私の魂がなみなみと

飲むことができるものは、香り、音、そして色.

あまたの船は黄金と文絹(あやぎぬ)の中をすべりゆき、

大いなる腕をひらいて、永遠の暑気のふるえる

清らかな空の栄光を、抱きしめようとする.

 

陶酔を愛でてやまぬ私の頭を沈めよう、

もうひとつの海原の閉じこめられた、この黒い海原に.

すると、私の聡い精神は、横揺れに愛撫されつつ、

御身らを再び見出すことを得るだろう、おお実り多い怠惰よ、

香気ただよう閑な時刻の、はてしもない揺蕩(たゆたい)よ!

 

青い髪の毛よ、暗闇を張りつめた天幕よ、

御身らは私に返してくれる、広々として円い空の紺碧を.

御身らはねじれた房の、絨毛(にこげ)やわらかな岸辺の上で、

私は熱烈に酔いしれる、椰子の油と、麝香と

瀝青(れきせい)の入りまじった、こころよい匂に.

 

長く! いつまでも! 私の手はきみの重い鬣(たてがみ)の中に、

ルビー、真珠、そして青玉(サファイア)を撒くだろう、

私の望みにきみが耳かさぬことの、決してないようにと.

きみこそは、私が夢にふけるオアシス、また思い出の葡萄酒を、

ゆっくりと味わいすする瓢ではないだろうか?

(阿部良雄訳、『ボードレール全集I』、筑摩書房)

 

この詩が描く状況が、男が恋人の髪の香りを嗅いでいる場面であることは容易に読み取れます.その現実的な描写に留まらず、数多くのイメージを喚起するのが詩の魅力です.

親しい間柄の人につかわれる二人称代名詞「tu」(目的格は「te」、所有格は「ton」「ta」「tes」)が何度か用いられますが、その対象は恋人というよりも、むしろその髪の毛のようです.最初の3行で、驚嘆符をつけた強い呼びかけが4回繰り返されます.形容詞句を除くと、「Ô Toison !(ふさふさとした髪の毛よ)」、「 Ô boucles ! (髪の環よ)」、「Ô parfum ! (香りよ)」、「Extase !恍惚よ)」と、フランス語の詩の規則によればどれも3音節になっており、髪の形状、香り、そしてそれが引き起こす感覚へと呼びかけがリズムカルに移っているのがわかります.髪の持ち主である女性がどんな人であるか、彼女の他の体の部位は一切描かれず、詩人は彼女の黒髪にすっかり顔を埋めて我を忘れているようです.

冒頭の「toison」は、もともと羊などの動物の豊かな毛を意味し、それが人間のふさふさとした髪の毛にも用いられます.この語を形容する「moutonnant」も「mouton(羊)」から派生しており、羊の毛のようにうねって縮れているという意味です.同じ行の「encolure 」という言葉も馬などの頸を指すのが、人間にも使われています.女性の官能的で野性的な動物性が強調されます.動物に関わる語は繰り返され、最後の詩句では「crinière(たてがみ)」とあります.

この魅惑的な髪は、また、数多くの思い出の香りを含んでいます.第一詩句で、この髪をハンカチのように宙に打ち振るって、その香りで部屋を一杯にできたら、とあります.ハンカチを振るというのは旅立ちのときの別れの仕草でもありますが、詩人の想像は薄暗い寝室からたちまち出発し、広々として眩い光に満ちた世界へと彷徨っていくのです.アジア、アフリカ、森、大洋、空...最後から2つめの詩節で再び「暗闇を張りつめた天幕」の下に戻り、結末ではすべての思い出は「瓢」の中に集約されるという長い旅です.

実にたくさんの比喩が展開しますが、いくつかに分類することができます.

1)航海のイメージ

「波打つ(moutonnerには「[羊の毛のように]白波をたてる」という意もあります)、「泳ぐ」、「大波」、「黒檀の海」、「船の帆と漕ぎ手たちと吹き流しと帆柱」、「港」、「あまたの船」、「沈めよう」、「もうひとつの海原の閉じこめられた、この黒い海原」、「横揺れ」、「岸辺」

2)繊維のイメージ

「ハンケチ」、「船の帆」、「吹き流し」、「文絹」、「天幕」、「絨毛」

3)貴金属、宝石のイメージ

「黄金」、「ルビー、真珠、そして青玉」

4)エキゾチックで気だるい官能性

「物憂さのこもった香り」、「恍惚」、「けだるく疲れ臥すアジア、灼熱に身をこがすアフリカ」、「炎熱の風土の下に、恍惚たる眠り」、「目にもまばゆい夢」、「永遠の暑気」、「陶酔」、「実り多い怠惰よ、香気ただよう閑な時刻の、はてしもない揺蕩よ」、「私は熱烈に酔いしれる、椰子の油と、麝香と瀝青[1]の入りまじった、こころよい匂に」、「私が夢にふけるオアシス」.

 

このように空想の船の行き先は、色とりどりの布地や貴金属、宝石があふれ、悠久の歴史の重みのこもった東洋的な香の中に身を横たえることのできる夢の国、これは同じ『悪の華』でも特に有名な「旅への誘い」でも描かれるボードレールが好んだモチーフです.恋人の髪の異国的な薫りにはくりかえし水のイメージが用いられ(「芳香をたたえた」、「きみの香りの上を泳ぐ」)、詩人はその中に身をひたし、また貪るように飲み干そうとします.最後の、オアシスで瓢からゆっくりすする「思い出の葡萄酒」もそうですが、その前に出てくる「私の魂がなみなみと飲むことができるものは、香り、音、そして色」という表現が興味深いです.普通、香りや音や色を「飲む」ことは生理学的に不可能ですが、こうした感覚を浴びるように味わいたいという願望を詩的比喩で描いたものです.嗅覚、聴覚、視覚といったさまざまな感覚の融合は「共感覚」とも呼ばれる現象で、ボードレールの作品に繰り返し登場します.中でも有名なのは、「もろもろの香り、色、音はたがいに応え合う」と歌っている「照応(コレスポンダンス)」という詩です.

この官能的な作品を書いた詩人は、実生活でも混血女(カリブ海出身という説があります)の「黒いヴィーナス」ジャンヌ・デュヴァルの愛人でした.マネによる肖像画でわかる通り、浅黒い肌に黒髪の女性です.この詩でも「黒檀の海」、青みがかった黒髪が、遠い南国の香で恋人を恍惚とさせています.『悪の華』はまず1857年に刊行されますが、当時の社会では受け入れがたいスキャンダラスな内容であるとして、公衆道徳壊乱のかどで詩人は起訴されることになるのです.

詩の形式は、最も古典的なアレクサンドラン(一行が12音節)です.日本語で聞いて調子がいいのは五七調ですが、5と7で12になるのも偶然ではないでしょう.各詩節は5行からなっていて、行末の韻はA-B-A-A-Bとなっています.例えば第一詩節では、l'encolure – nonchaloir – obscure – chevelure – mouchoirです.静かな海の波のように、規則正しいリズムの繰り返しが、読者を揺さぶる、そんな音の効果が生かされています.

 

(参考文献 Jean Milly, Poétique des textes, Armand Colin, pp. 278-287)


2.食事と味覚の快楽------マルセル・プルースト『スワン家の方へ』(1913)(『失われた時を求めて』第一巻)

 

Mais (surtout à partir du moment où les beaux jours s’installaient à Combray) il y avait bien longtemps que l’heure altière de midi, descendue de la tour de Saint-Hilaire qu’elle armoriait des douze fleurons momentanés de sa couronne sonore avait retenti autour de notre table, auprès du pain bénit venu lui aussi familièrement en sortant de l’église, quand nous étions encore assis devant les assiettes des Mille et Une Nuits, appesantis par la chaleur et surtout par le repas. Car, au fond permanent d’œufs, de côtelettes, de pommes de terre, de confitures, de biscuits, qu’elle ne nous annonçait même plus, Françoise ajoutait – selon les travaux des champs et des vergers, le fruit de la marée, les hasards du commerce, les politesses des voisins et son propre génie, et si bien que notre menu, comme ces quatre-feuilles qu’on sculptait au XIIIe siècle au portail des cathédrales, reflétait un peu le rythme des saisons et les épisodes de la vie : une barbue parce que la marchande lui en avait garanti la fraîcheur, une dinde parce qu’elle en avait vu une belle au marché de Roussainville-le-Pin, des cardons à la moelle parce qu’elle ne nous en avait pas encore fait de cette manière-là, un gigot rôti parce que le grand air creuse et qu’il avait bien le temps de descendre d’ici sept heures, des épinards pour changer, des abricots parce que c’était encore une rareté, des groseilles parce que dans quinze jours il n’y en aurait plus, des framboises que M. Swann avait apportées exprès, des cerises, les premières qui vinssent du cerisier du jardin après deux ans qu’il n’en donnait plus, du fromage à la crème que j’aimais bien autrefois, un gâteau aux amandes parce qu’elle l’avait commandé la veille, une brioche parce que c’était notre tour de l’offrir. Quant tout cela était fini, composée expressément pour nous, mais dédiée plus spécialement à mon père qui était amateur, une crème au chocolat, inspiration, attention personnelle de Françoise, nous était offerte, fugitive et légère comme une œuvre de circonstance où elle avait mis tout son talent. Celui qui eût refusé d’en goûter en disant : « j’ai fini, je n’ai plus faim », se serait immédiatement ravalé au rang de ces goujats qui, même dans le présent qu’un artiste leur fait d’une de ses œuvres, regardent au poids et à la matière alors que n’y valent que l’intention et la signature. Même en laisser une seule goutte dans le plat eût témoigné de la même impolitesse que se lever avant la fin du morceau au nez du compositeur. (Marcel Proust, A la recherche du temps perdu, t. 1, « Pléiade », pp. 70-71)

しかし(とりわけ晴天の日がコンブレーに定まるようになってからは)、正午のいと高きにある時刻が、そのひびきの王冠のつかのまの十二の花弁でサン=チレールの塔に紋章を描きながらおりてきて、私たちの食事のテーブルのまわりや、これもまた教会から親しくやってきた祝別パンの間近に、ひびきわったてから長くたっても、私たちは例の『千一夜』のお皿のまえにまだ腰をかけてぐったりしているのであった、暑さのために、そしてとくにおひるのごちそうのために.というのは、いつものきまった品数でまえぶれの必要のなかったもの、たまご、コートレット、じゃがいも、ジャム、ビスケットの上に、日曜日のおひるはフランソワーズがいろんなものを加えたからで------たとえば畑と果樹園の出来具合、海の幸、商人から手にはいる偶然の機会、近所の心づくし、フランソワーズ自身の天分のひらめき、といったものにもよるし、またその結果として、私たちのメニュには、十三世紀に方々の大聖堂の正面入口に彫刻されたあの四つ葉模様のように、四季のリズムと生活の挿話とがいくらか反映されていたことにもよるのだが-----まず大びらめが出る、魚売の女が彼女に生きのいいことを請けあったからだ、つぎには雌の七面鳥が出る、彼女がルーサンヴィル=ル=パンの市場でみごとなのを見つけたからだ、カルドン・ア・ラ・モワル(食用あずみに牛の骨髄を添えた料理)が出る、彼女がまだその調理法で私たちにたべさせたことがなかったからだ、羊の腿肉のローストが出る、新鮮な戸外の空気が私たちの腹をぺこぺこにしているからでありまたいまから七時間後の夕食までには十分こなれる時間があるからだ、ほうれん草が、趣向を変えるために、あんずが、まだめずらしいから、すぐりが、半月も経てばなくなってしまうから、フランボワーズが、スワン氏がわざわざもってきてくれたから、さくらんぼが、不作つづきの二年後に庭の木からとれた初物だから、クリーム・チーズが、以前に私の好物だったから、アーモンド・ケーキが、まえの晩に彼女が注文しておいたから、ブリオーシュが、ちょうど私たちの家がそれをお供えする当番であったからだ.そうしたものが全部すむと、わざわざ私たちのためにつくられたもので、それが好物である父にとくにささげられた、フランソワーズ自身の創意でもあり配慮でもあるチョコレート・クリームが、彼女の全才能をしてつくられたものなのに、間にあわせの作品とでもいうように、逃腰で、さっと私たちのまえに出された.それを、「ごちそうさま、もうおなかがいっぱいですよ」といって、味わうのをことわりでもした人は、たちまち下司の列に落とされたことだろう、-----画家から贈られた作品が、意図と署名だけに価値があるのに、目方や材料を重用視するあの下司の列に.お皿のなかに一滴でも残しておこうものなら、曲がおわらないのに作曲者の目のまえで立ちあがるのとおなじ非礼を示したことになっただろう.(井上究一郎訳、筑摩文庫、『失われた時を求めて』1、pp. 118-119)

 

外国文学を読む大きな楽しみの一つは食べ物の描写です.近年こそ珍しい外国の食材が輸入されていますが、これまで食べたことのない、でもなんとなくおいしそうな料理の名前に想像を巡らすことができます.食事の描写が魅力的な作品は数多く、例えば日本でよく読まれているモンゴメリの赤毛のアンのシリーズもその一つです.「オーヴンからの食欲をそそる匂いが立ち込め、鶏は既にみごとにジュージュー音を立てていた.アンはジャガイモ、ダイアナはエンドウ豆とソラ豆の下ごしらえをした.それからダイアナが食料室にこもって、レタスサラダを作っている間に、アンは[…]鶏にかけるパン粉入りソースを用意し、スープ用に玉ネギをみじん切りし、最後にレモンパイのクリームを泡立てた」(『アンの青春』谷詰則子訳、篠崎書林、p. 168)という描写は、読んだだけでお腹がすきそうですが、単なるおいしそうなものの羅列です.それに対して引用のテクストは読めば読むほど計算された詩学があることがわかります.

20世紀を代表する作家の一人、 マルセル・プルーストは、『失われた時を求めて』という非常に長い小説を残しました.作品だけではなく、文が長くて難解なことでも有名です.訳を見ると、読点がくるはずのところに句点が置かれてさらに文が続いていることに気づかれるでしょう.これは原文を忠実に再現しようと訳者が意図的に行っています.この作家の書く文章では、ピリオドがなかなか打たれず、挿入句が頻繁で、また長い説明が文のまん中で始まることもたびたびです.この文体のおかげで、ふんだんな食材が次から次へと、女中のフランソワーズのコメントつきでテーブルに並び立てられる様が、読んでいて目に浮かぶようです.

日本では個食の問題、またスローフード、地元食材の奨励運動など、食がなにかと話題になっています.ここに描かれているのはそれと正反対の食事風景、家族が一緒に食卓を囲み、近郊でとれた食材を手間をかけて調理した皿の数々を味わいます.午前中のミサ後の日曜日、あるいはヴァカンス中の昼食はフランス人にとって重要です.お天気のよい日はテラスや庭の木陰で、アペリティフに続くフルコースをおしゃべりしながら2時間くらいかけて味わい、最後はコーヒーで絞めます.お腹いっぱいになったら消化のために散歩にでかける、というのが田舎の典型的な休日の昼食の光景です.テーブルという限られた空間を囲んだ数時間の出来事ですが、時間的にも空間的にも果てしない広がりを見せるのが引用の描写の面白さです.

ここで直接描かれるのは教会の鐘が12時を告げるところから、食事が終ってお腹いっぱいになるまでです.しかし料理人のフランソワーズの頭には家族が食事前に過ごした「戸外の」時間と「七時間後の夕食」までが計算に入っています.またそれぞれの食材の出所が説明されるため、読者はフランソワーズと市場を歩きまわり、商人たちとかけあっていろいろな品物を選ぶ楽しい時を共有し、またフランボワーズを届けてくれた隣人とおしゃべりしたり、庭にでてさくらんぼを採ったり、前夜にパン屋に行ってケーキを注文し、台所ではいろいろな調理法を試しながら心づくしの料理をする彼女の側にいる気にもなれます.また家族が共有している歴史にも言及されます.「以前に」語り手が好きだったクリーム・チーズ、チョコレート・クリームも久しく父の好物なのでしょう.家族史に初登場するカルドン・ア・ラ・モワルという料理、そして庭のさくらんぼの不作が続いた二年間といった具合です.さらに四季のサイクルや自然全体のリズムもテーマになります.「畑と果樹園の出来具合」、気象に左右される「海の幸(潮の産物)」、「まだめずらしい」あんず、「半月もたてばなくなる」すぐり等です.これは大聖堂入口に彫刻された「四つ葉模様」のカレンダーのようだとあります.この表現は中世教会修復に携わったフランス19世紀の建築家ヴィオレ・ル・デュクの著作からプルーストが借用したものであり、上段に黄道十二宮のシンボル(星占いの各月)が、下段にそれぞれの月の労働の光景を彫った四つ葉型の装飾については、作家が翻訳したジョン・ラスキンの『アミアンの聖書』にも紹介されています.また彼が愛読したエミール・マールの『フランスの十三世紀の宗教美術』の中でも、アミアンの大聖堂のものが写真で呈示され、これらの装飾は大聖堂のある土地の農耕生活、シャルトル大聖堂のあるボース地方の麦畑、ランス大聖堂のシャンパーニュ地方の葡萄畑、そしてパリのノートル・ダム近郊の牧草地や森の四季と大きな関係があるとしています(Emile Male, L’Art religieux du XIIIe siècle en France, Armand Colin, 1948, p. 66).

「十三世紀の」大聖堂とある通り、もっと大きな時間のサイクル、フランスの歴史を中世まで遡ることになります.それと同時に、この食卓で支配的なのは、もう一つ別の空間、教会という聖なる場所です.安息日の日曜日のミサ後の食事ということで、家族は教会で聞いた説教や、お祈りの記憶がまだ頭にあるはずです.正午の12の鐘の音色は「十二の花弁で」教会の塔に「紋章を描きながら」テーブルに落ちてきます.鐘の音色と大時計の文字版の装飾された12の数字の像が結びつけられた共感覚的で面白い表現です.さらに食卓には「祝別パン」と教会に供えたのと同じブリオーシュが並びます.

宗教的なイメージに続き、引用の最後に登場するのは芸術の比喩です.チョコレート・クリームの描写を直訳すると、これはフランソワーズによって「composée (詩や曲を作る、絵の構図をする)」され、「amateur(アマチュア、芸術などの愛好家)」である父に捧げるべく彼女が「inspiration(インスピレーション)」と「talent(才能)」を込めてつくりあげた「œuvre(作品)」なのです.彼女の料理を残すことは問題外とあり、この田舎の女中は、最後に画家や作曲家に例えられています.プルーストにとって食事や料理とは生理的な欲求を満たすだけでなく、一種の芸術だったようで、他にも興味深い描写が散見します.有名なマドレーヌの挿話ももちろんそうですし、また小説の結末で語り手は、自分の本を書くにあたって、フランスワーズの冷製牛肉ゼリー寄せのように、いろいろな要素を選び、付け加え、文体によって全体に織り込みながら、テクストというゼリーを豊かにしていきたいと告白するのです.料理は詩であり芸術、エクリチュールであるというプルーストならではのとらえ方といえるでしょう.

←アミアン大聖堂の「四つ葉模様」

左より12月、1月、2月


3. 「家族」であることの苦痛-----マルグリット・デュラス 『愛人(ラマン)』(1984)

 

[…] Déjà je l’ai dit à ma mère : ce que je veux c’est ça, écrire. Pas de réponse la première fois. Et puis elle demande : écrire quoi ? je dis des livres, des romans. Elle dit durement : après l’agrégation de mathématiques tu écriras si tu veux, ça ne me regardera plus. Elle est contre, ce n’est pas méritant, ce n’est pas du travail, c’est une blague – elle me dira plus tard : une idée d’enfant (Marguerite Duras, L’Amant, Minuit, p. 29).

わたしはものを書きたいと思っている、その気持ちはもう母に話した、--やりたいことは、あれなの、書きたいの.最初は返事なし.次いで母はたずねる.書くって何を? 本を、小説を、とわたしは言う.母は冷ややかに言う、数学の大学教授資格試験に受かったら、やりたければ書きなさいな、そのさきはあたしにはどうでもいいんだから.母は反対なのだ、そんなもの、感心しないわねえ、仕事ってものじゃない、冗談ってものだねのちにはこう言うだろう、子供の考えそうなことさ.(清水徹訳、河出文庫、p. 35)

 

Je lui ai répondu que ce que je voulais avant toute autre chose c’était écrire, rien d’autre que ça, rien. Jalouse elle est. Pas de réponse, un regard bref aussitôt détourné, le petit haussement d’épaules, inoubliable. Je serai la première à partir. Il faudra attendre encore quelques années pour qu’elle me perde, pour qu’elle perde celle-ci, cette enfant-ci. Pour les fils il n’y avait pas de crainte à avoir. Mais celle-ci, un jour, elle le savait, elle partirait, elle arriverait à sortir. Première en français. Le proviseur lui dit : votre fille, madame, est première en français. Ma mère ne dit rien, rien, pas contente parce que c’est pas ses fils qui sont les premiers en français, la saleté, ma mère, mon amour, elle demande : et en mathématiques ? On dit : ce n’est pas encore ça, mais ça viendra. Ma mère demande ; ça viendra quand ? On répond : quand elle voudra, madame (p. 31).

わたしは母に答えた、何よりやりたいのは、書くこと、それだけ、そのほかは何も.嫉妬しているのだ、母は.返事がない、眼差がちらり、すぐにそむけてしまう、かるく肩をそびやかす、忘れられない動作.私が家族のうちで最初にここを出てゆくことになるだろう、この娘を、この子供を失うことになるだろう.息子たちについては、心配する必要はなかった.けれど、この子は、いつか、母は知っていたのだ、この子は出ていってしまうだろう、何とかして、うまくここから出てゆくだろう.フランス語では首席のこの子.校長から言われている、マダム、お嬢さんはフランス語では首席です.母は何も言わない、なんにも、不満なのだ、フランス語で首席なのが息子のほうではないので、ひどいわよ、大好きなお母さん、母はこうたずねるのだ、で、数学のほうは? こう言われる、まだそれほどでも、けれどやがてそうなりますよ.母はたずねる、やがて、っていつごろでしょう? 答、あの子がその気になれば.(pp. 37-38)

 

Le petit frère est mort en trois jours d’une broncho-pneumonie, le cœur n’a pas tenu. C’est à ce moment-là que j’ai quitté ma mère. C’était pendant l’occupation japonaise. Tout s’est terminé ce jour-là. Je ne lui ai plus jamais posé de questions sur notre enfance, sur elle. Elle est morte pour moi de la mort de mon petit frère. De même que mon frère aîné. Je n’ai pas surmonté l’horreur qu’ils m’ont inspirée tout à coup. Ils ne m’importent plus. […] Ils sont morts maintenant, la mère et les deux frères. Pour les souvenirs aussi c’est trop tard. Maintenant je ne les aime plus. Je ne sais plus si je les ai aimés. Je les ai quittés. Je n’ai plus dans ma tête le parfum de sa peau ni dans mes yeux la couleur de ses yeux. Je ne me souviens plus de la voix, sauf parfois de celle de la douceur avec la fatigue du soir. Le rire, je ne l’entends plus, ni le rire, ni les cris. C’est fini, je ne me souviens plus. C’est pourquoi j’en écris si facile d’elle maintenant, si long, si étiré, elle est devenue écriture courante (pp. 37-38).

下の兄は気管支肺炎で三日で死んだ、心臓がもたなかったのだ.そのときだ、わたしが母からはなれてしまったのは.日本軍に占領されていたころだった.すべてがその日に終った.わたしはもう、けっして、母に、わたしたちの子供時代について、母自身について質問することはなかった.わたしにとって母は下の兄の死で死んでしまったのだ.上の兄も同じ.それまでは、母と上の兄とが突然わたしに感じさせる嫌悪が、どうしても乗り越えられなかった.もう、彼らはわたしにはどうでもいい.[…] いまでは彼らは死んでしまった、母とふたりの兄は.追憶も、もう手遅れなのだ.いまではわたしはもう彼らを愛してはいない.以前に愛したことがあったか、それもわからない.わたしは彼らからはなれた.母の肌の匂いも、もう覚えていないし、母の眼の色も、もう眼に浮かばない.声も、もう思い出さない、ただときどき、夕方の疲労感とともに、優しさにあふれた声がよみがえるだけだ.笑い声、もうそれも耳に戻らない、笑い声も、叫び声も.おしまいだ、もう思い出さない.だからこそ、いま母のことを、じつにすらすらと書いている、こんなに長く、こんなに引き延ばして、母は流れゆくエクリチュールとなってしまった.(p. 47)

 

1984年に発表されたこの小説は、すぐにベストセラーとなり、同年に文学で権威のあるゴンクール賞を受賞し、1992年にはジャン・ジャック・アノー監督が映画化しています.作家がフランス領インドシナ(現在のベトナム)で過ごした少女時代の思い出が基になっています.主人公は、小学校教師である両親のもと、3人兄弟の末っ子として生まれます.父が早くに死んだ後、母親は僻地の現地人小学校の教師をしながら子供を育てました.生活は困窮し、さらに母親が詐欺に遭って破産し、白人社会の最下層の貧しさでした.ある日、メコン河の渡し船の上で、主人公は、運転手つきの黒塗り自動車で乗り込んだ裕福な中国人の青年と出会い、彼の「愛人」となるのです.

「藁小屋、森、消えた火災の残り、死んだ鳥、死んだ犬、溺れた寅、水牛、溺れた人間、罠、水生ヒヤシンスの集落」、すべてを太平洋へと運び去っていく、「すさまじい流れ」、内部で「嵐が吹き荒れている」ようなメコン河.大河のようにデュラスのテクストも、さまざまな挿話を呑み込み、その種々多々な「漂流物」は、時には時間の前後も無視して、錯綜しながらゆったりとした流れをつくり、青年との出会いから別離までの物語が断続的に展開します.それに交差するように繰り返されるのが家族のモチーフです.ここでは小説の冒頭の部分より、家族に関する断片のうちの3つを引用しています.

貧困と絶望のなかで狂気にとらわれていく母親は、上の兄をただただ溺愛し、死ぬまで彼の悪事の後始末をし、借金を払ってやります.下の二人の子供は、この凶暴で専横的な兄の暴力に怯え続けます.母は娘には幼いころから自分が受けた以上の教育を受けさせることを夢見て、高校へ行き、数学の大学教授資格試験に良い成績で合格するようにと繰り返します.「作家になりたい」という15歳半の娘の告白は、母の分身であることを拒絶した娘の最初の反抗であり、やがて訪れる自立の宣言だったのかもしれません.娘がフランス語で良い成績だと知らされても、母は嬉しそうな顔一つしません.それが息子のことではないから、また彼女が娘に望んでいる数学という科目ではないから.誰よりも母に認められたいと無意識に願っている娘は絶望します.文学への夢を最初に打ち明けた相手は、母親だったのに.

母の娘に対する態度は複雑です.青年の愛人となった娘、男物の帽子、胸もとが大きく開いた着古された絹のドレス、安物の金ラメ入りのハイヒールという奇妙な服装、娼婦のように一目を引く身なりの娘を微笑んで見守り、一家がフランスに戻るための費用を青年に出させるという娘の計画に賛同します.かと思えば、発作の夜は、娘に飛びかかり、泣きながらののしり、拳骨で、平手でなぐりつづけるのです.それを上の兄は応援し、下の兄はおびえて庭に逃げます.また、ある日は、「優しい微笑」、「わずかにからかうような微笑」を浮かべて、娘を長いこと見つめ、ぽつりといいます.「わたしはおまえとは似ていなかった」...同性の親子ならではの葛藤、距離のとり方の難しさが伺えます.

母と上の兄を愛しながらも、憎み、怯え続けた少女は、仲の良かった下の兄が病死すると(「心臓がもたなかった」というのは「心が耐えきれなかった」とも読め、彼が長兄に精神的に殺されたような印象も与えます)、二人とは心理的に断絶してしまいます.ベトナムを占領していた日本軍のように、彼女の人生を横暴に占領していた家族から独立するのです.そのとき、初めて、家族は客観的な考察の対象となり、家族について、特に母について書くことができることが可能になるのです.母の物語は、河のように「長く」「引き延ばされ」、静かに流れていきます.生々しい現実であることをやめた母は「流れるようなエクリチュール(=「書くこと、書いたもの」を意味するフランス語)」となり、中国人青年との物語と母の物語という2つの流れが悠々たる大河をつくり、小説は結末へと蛇行していくのです.

この作品は全体の構成だけでなく、文体も特殊です.簡潔で語彙もシンプルですが、独特のリズムがあり、ポエティックであるのと同時に論理的に訳そうとすると難しい場合もあります.訳文を見てもわかるように、語の省略が多く、また直接話法の引用符(フランス語ではギユメ)も無いので、語りの地の文なのか、母親の発話した言葉なのか、少女の言った言葉なのか、彼女の思いを書き写したものなのか、文脈や内容で辛うじて判別できることが多いです.現在の思いと過去の思い、母の言葉と娘の言葉、すべてが混沌としたまま流れるような文体に運ばれているのです.奇妙なほど倒置が頻繁に用いられるのもデュラスの特徴です.二つ目の引用では、「Jalouse elle est」は直訳すると、「嫉妬しているのだ、彼女は」となり、三つ目の引用では「Le rire, je ne l’entends plus(笑い声、もうそれも耳に戻らない)」と書かれています.倒置は文頭に置かれた語を強調する手法ですが、2つ目の例のように、まず唐突に一つの単語を呈示し、その後で説明や言い換えをするパターン(「○○、それは××である..」)はこの作家特有の言い回しです.指示形容詞や指示代名詞が多く、「あの○○」というふうにいきなり言って読者を話の内容に引き込み、経験を共有しているような錯覚を起こさせる手法も彼女が得意とします.二つ目の引用では、「Il faudra attendre encore quelques années pour qu’elle me perde, pour qu’elle perde celle-ci, cette enfant-ci(私が家族のうちで最初にここを出てゆくことになるだろう、(母は)この娘を、この子供を失うことになるだろう)」で、一人称で指し示されていた少女が、母の視点から三人称で畳みかけるように繰り返し示され、すぐ後でも「Mais celle-ci, un jour, elle le savait, elle partirait, elle arriverait à sortir(けれど、この子は、いつか、母は知っていたのだ、この子は出ていってしまうだろう、何とかして、うまくここから出てゆくだろう)」と念を押すかのように指示代名詞が登場します.こうした文体の特徴は作家の全作品に共通するものです.

中国人青年との恋愛の挿話は『北の恋人』(1991) でも取り上げられ、またインドシナでの家族の思い出は、『太平洋の防波堤』、『夏の雨』でも描かれます.その他にも彼女独特の文体で、小説、戯曲、映画のシナリオ等数多く書かれます.『モデラート・カンタービレ』、『ヒロシマ、私の恋人』、『ロル・V・シュタインの歓喜』、『インディア・ソング』等、今でもよく読まれている作品ばかりです.


4.自然の風景と音------J・M・G・ル・クレジオ 『黄金探索者』(1985)

 

Du plus loin que je me souvienne, j’ai entendu la mer. Mêlé au vent dans les aiguilles des filaos, au vent qui ne cesse pas, même lorsqu’on s’éloigne des rivages et qu’on s’avance à travers les champs de canne, c’est ce bruit qui a bercé mon enfance. Je l’entends maintenant, au plus profond de moi, je l’emporte partout où je vais. Le bruit lent, inlassable, des vagues qui se brisent au loin sur la barrière de corail, et qui viennent mourir sur le sable de la Rivière Noire. Pas un jour sans que j’aille à la mer, pas une nuit sans que je m’éveille, le dos mouillé de sueur, assis dans mon lit de camp, écartant la moustiquaire et cherchant à percevoir la marée, inquiet, plein d’un désir que je ne comprends pas.

Je pense à elle comme à une personne humaine, et dans l’obscurité, tous mes sens sont en éveil pour mieux l’entendre arriver, pour mieux la recevoir. Les vagues géantes bondissent par-dessus les récifs, s’écroulent dans le lagon, et le bruit fait vibrer la terre et l’air comme une chaudière. Je l’entends, elle bouge, elle respire.

Quand la lune est pleine, je me glisse hors du lit sans faire de bruit, prenant garde à ne pas faire craquer le plancher vermoulu. Pourtant, je sais que Laure ne dort pas, je sais qu’elle a les yeux ouverts dans le noir et qu’elle retient son souffle. J’escalade le rebord de la fenêtre et je pousse les volets de bois, je suis dehors, dans la nuit. La lumière blanche de la lune éclaire le jardin, je vois briller les arbres dont le faîte bruisse dans le vent, je devine les massifs sombres des rhododendrons, des hibiscus. Le cœur battant, je marche sur l’allée qui va vers les collines, là où commencent les friches. Tout près du mur écroulé, il y a le grand arbre chalta, celui que Laure appelle l’arbre du bien et du mal, et je grimpe sur les maîtresses branches pour voir la mer par-dessus les arbres et les étendues de canne. La lune roule entre les nuages, jette des éclats de lumière. Alors, peut-être que tout d’un coup je l’aperçois, par-dessus les feuillages, à la gauche de la Tourelle du Tamarin, grande plaque sombre où brille la tache qui scintille. Est-ce que je la vois vraiment, est-ce que je l’entends ? La mer est à l’intérieur de ma tête, et c’est en fermant les yeux que je la vois et l’entends le mieux, que je perçois chaque grondement des vagues divisées par les récifs, et puis s’unissant pour déferler sur le rivage. (J. M. G. Le Clézio, Le Chercheur d’or, Gallimard, folio, pp. 11-12)

 

思い出すかぎり遠い昔から、僕は海の音を聞いてきた.モクマオウの針葉を吹き抜ける絶え間ない風に混じるあの音、浜辺から離れてサトウキビ畑を突き抜けて行くときにも聞こえるあの潮騒こそ、僕の幼い日々を揺すりあやしてくれたものだ.今僕は、自分の奥深くであの音を聞いている.どこに行くにも僕はそれを運んで行く.倦むことを知らない緩慢な波の音、遠くの珊瑚礁の上で砕け、ノワール川の砂に寄せては消える波の音だ.僕が海に行かない日は一日もない.背中にびっしょり汗をかいて目覚め、簡易ベッドに身を起こし、自分にもわからない気持ちに駆られて不安げ蚊帳を開け、潮の動きを知ろうとしない夜は一夜もない.

僕は一人の人間を思うように海のことを思う.海がやって来るのをいっそうよく聞き取ろうと、海をよりよく迎え入れようと、五感は闇のなかで身構えている.巨大な波が岩礁を越えて跳ね上がり、礁湖に崩れ落ちている.その轟音は、ボイラーのように、陸と大気を震わせている.海が轟いている、海は動き、息づいている.

満月になると、古びた床を軋ませないように用心しながら、そっとベッドを抜け出す.けれども、ロールが眠っていないのはわかっている.暗闇のなかで両目を開き、息を殺しているのはわかっている.窓べりに上がり、木の鎧戸を押し開ける.外に出ると真っ暗だ.白い月光が庭を照らしている.木々がきらめき、梢が風にざわめいている.シャクナゲやハイビカスの暗い茂みがかすかに見える.胸を躍らせながら小道伝いに、丘のほう、荒れ地との境目のあたりまで行く.崩れ落ちた壁のすぐ近くに、ロールが善悪の木と呼んでいるシャルタの大木がある.太い枝を伝ってよじ登り、木立や一面に広がるサトウキビ畑の向こうに海を眺める.月は雲間を漂い、閃光を投げかけている.そのときおそらく不意に見えるのだ、葉むらの向こう、タマランの櫓の左側に、きらきらと光る斑が映えている、大きくて暗いプレートのような海が.僕はほんとうに海を目にしているのか、潮騒を聞いているのか.海は僕の頭のなかにある.海の姿が一番はっきりと見え、潮騒が一番鮮明に聞こえるのは、目を閉じたときだ.そのとき、岩礁に裂かれ、ふたたび結ばれて浜辺に打ち寄せる波の轟の一つ一つが聞こえる.(中地義和訳、新潮社、pp. 7-8)

 

現代フランス文学を代表する作家の一人のル・クレジオは、1940年にフランスのニースで生まれました.ル・クレジオ家は18世紀にブルターニュから現在のモーリシャス島に移住、父の代でヨーロッパ(イギリス、その後はフランス)に戻ります.小説家は1948年より父の赴任先のナイジェリアで1年余りを過ごし、その後もフランス、イギリス、タイ、メキシコ等様々な土地に住み、現在はアメリカのニューメキシコ在住です.フランス語を表現手段としながらも、西洋文明の外側の、辺境の消え行く文明に関心をもち、数多くの小説、エッセー、物語、評論を発表し続けており、何度か日本にも来ています.1985年に刊行された『黄金探索者』は作家の祖父がモデルです.モーリシャス島はマダガスカル島の東に位置する珊瑚礁に囲まれた火山島で、エメラルド色の海と豊かな自然を誇り、「インド洋の貴婦人」と呼ばれて高級リゾート地としても有名です.『黄金探索者』ではこの南国の島の動植物、山、河、サトウキビ畑の風景がふんだんに描かれますが、中でも海の描写は、語りの基調をなすメロディーのように作品全体に繰り返されます.引用箇所は小説の冒頭です.

「思い出すかぎり遠い昔から、僕は海の音を聞いてきた.」小説はこう始まります.遠い昔とは、語り手個人の過去であると同時に、人類と自然の根源、太古の昔に戻るような、不思議な書き出しです.これはプルーストの『失われた時を求めて』の冒頭「Longtemps, je me suis couché de bonne heure (長いこと、僕は早くから床に就いた)」同様、長い時の流れを喚起しつつ、唐突で詩的な始まりです.両作品とも過去への追憶がテーマになっているのは偶然でしょうか.

「僕の幼い日々を揺すりあやしてくれた」潮騒は、その土地を離れた今でも耳に響いています.「今僕は、自分の奥深くであの音を聞いている.どこに行くにも僕はそれを運んで行く.」まるで子供時代に聞いた子守唄のように.フランス語では「mer(海)」と「mère(母)」は同じ発音、「メール」というやわらかい響きの語です.モーリシャス島での子供時代にいつも聞いていた潮騒.海は風景というよりも人格を持っているような濃厚な存在です.夜中、ベッドで眠っているときも、「自分にもわからない気持ちに駆られて」汗びっしょりになって目覚めます.海に呼ばれているのを感じるのでしょうか.「僕は一人の人間を思うように海のことを思う」.家を抜け出し、海を見ようと、波の音に耳をすまそうと、木によじ登る、幻想的な場面です.

引用箇所は、冒頭の一文の現在完了的な複合過去を除き、一貫して現在形で書かれています.第一段落目の「今僕は、自分の奥深くであの音を聞いている」の「今」は遠い昔を回想する語りの現在と思われます.しかし、この段落の終わりに近づいて、「僕が海に行かない日は一日もない」という文から、曖昧になります.これは過去の「僕」の話であるとしかとれないのです.語りの視点はいつのまにか、過去の物語のただ中に置かれ、語り手とともに読者もタイムマシーンに乗ったように一瞬で移動するような印象を受け、語られる出来事、そしてそこに広がる海の風景をますます幻想的にするのです.少年時代の語り手は、木の上からはるか遠くに月光にきらきらと照らされる海を認めます.しかし、彼はこの海を本当に見ているのでしょうか.この海は本当に存在したのでしょうか.月の魔法による幻覚かもしれません.また長い歳月を経て、記憶がつくりだしたにすぎないのかもしれません.「僕はほんとうに海を目にしているのか、潮騒を聞いているのか.海は僕の頭のなかにある.海の姿が一番はっきりと見え、潮騒が一番鮮明に聞こえるのは、目を閉じたときだ.」今、このとき、ここで、海を見ているはずの少年にとっても、海は非現実的な存在に思われて仕方ないのです.単なる風景描写というよりも、彼の原体験的に反芻される心象風景であるかのように.長い物語を経て、小説の最後に語り手はかつて自分の家があった土地に戻ります.「今は夜だ.僕は押し寄せてくる海の激しい轟を、体の隅々まで染み渡るように聞いている」という一文で幕を閉じ、また冒頭の夜の海の轟の風景に立ち戻るという円環を成しています.

モーリシャス島という舞台の地方性は、まず登場する地名に表れます.引用箇所では、ノワール河、タマランという村の名前です.また、サトウキビ、珊瑚礁、礁湖(lagon) 、シャクナゲ、ハイビスカス等、南の島特有の風物が風景描写を彩ります.さらに、普通のフランス語の辞書に出てこないような地方特有の植物、鳥、昆虫、魚の名前が散在します.テクストでは「モクマオウ(filao)」、「シャルタ(chalta)」という木の名前がそれにあたります.フランスにはない植物のエキゾチックな名前の響きに、モーリシャス島を知っている人は自らの旅を思い起こし、まだ知らない読者はどんな木なのか想像を巡らして、ページを前にして空想の旅をするのです.

 


5.絵画と眼差し-----エミール・ゾラ 『制作』(1886)

 

1) C’était une toile de cinq mètres sur trois, entièrement couverte, mais dont quelques morceaux à peine se dégageaient de l’ébauche. Cette ébauche, jetée d’un coup, avait une violence superbe, une ardente vie de couleurs. Dans un trou de forêt, aux murs épais de verdure, tombait une ondée de soleil ; seule, à gauche, une allée sombre s’enfonçait, avec une tache de lumière, très loin. Là, sur l’herbe, au milieu des végétations de juin, une femme nue était couchée, un bras sous la tête, enflant la gorge ; et elle souriait, sans regard, les paupières closes, dans la pluie d’or qui la baignait. Au fond, deux autres petites femmes, une brune, une blonde, également nues, luttaient en riant, détachaient, parmi les verts des feuilles, deux adorables notes de chair. Et comme au premier plan, le peintre avait eu besoin d’une opposition noire, il s’était bonnement satisfait, en s’y asseyant un monsieur, vêtu d’un simple veston de velours. (Emile Zola, LŒuvre, GF-Flammarion, p. 89-90)

それは、五メートルと三メートル四方の大カンヴァスで、全面に描かれていたが、何カ所かはまだ下絵の段階だった.その下絵は、一気に描かれたらしく、乱暴きわまるタッチで、色彩は燃えるように生々しい.濃い緑の葉がうっそうと繁る森の空間地に、陽光がさんさんと降りそそいでいる.左の方では、一本の薄暗い小径が奥深くのび、遠くに一点の光が見えていた.そこ、六月の生い繁った樹木に囲まれた空間地の草の上には、一人の裸の女が片腕を枕にして、胸元もあらわに横たわっていた.降りそそぐ黄金のシャワーを全身に浴び、どこを見るともなくまぶたを細め、微笑を浮かべている.他にもう二人の女が、ずっと奥の方に小さく描かれていた.一人はブロンド、一人は栗色の髪、そしてやはり裸の姿で、笑いさざめきたわむれており、緑の暗い葉影の中で、二点の明るい肉体の色調を際立たせている.画家は前景として黒いコントラストが必要と考え、ビロードの服を着た男を一人、そこに配置していた.(清水正和訳、岩波文庫、(上)、p. 232

 

2) « Voilà, la dame a trop chaud, tandis que le monsieur a mis sa veste de velours, de peur d’un rhume. – Mais non, elle est déjà bleue, le monsieur l’a retirée d’une mare, et il se repose à distance, en se bouchant le nez. – Pas poli, l’homme ! il pourrait nous montrer son autre figure. – Je vous dis que c’est un pensionnant de jeunes filles en promenade : regardez les deux qui jouent à saute-mouton. – Tiens ! un savonnage : les chairs sont bleues, les arbres sont bleus, pour sûr qu’il l’a passé au bleu, son tableau ! » Ceux qui ne riaient pas, entraient en fureur : ce bleuissement, cette notation nouvelle de la lumière, semblaient une insulte. Est-ce qu’on laisserait outrager l’art ? […] Mais un autre, un petit homme méticuleux, ayant cherché dans le catalogue l’explication du tableau, pour l’instruction de sa demoiselle, et lisant à voix haute le titre : Plein Air, ce fut autour de lui une reprise formidable, des cris, des huées. Le mot courait, on le répétait, on le commentait : plein air, oh ! oui, plein air, le ventre à l’air, tout en l’air, tra la la laire ! (p. 184)

「女は暑すぎて裸になっているのに、男は風邪を用心してビロードの服なんか着こんでいるぜ!-----いや、そうじゃない.女はすでに死んでるぜ.ほら、青ざめているじゃないか.男が女を沼から引き上げたんだ.そしていま、鼻をつまんで休息中ってところだぜ.-----礼儀を知らんな、この男.こっちを向いて顔を見せるべきだ.-----おれはな、これは女学生のピクニック風景だと思うよ.見てみろ、向うで二人が馬とび遊びをやっているぜ.-----おや、この絵はまるで石けんで洗いたてだ.肌は青いし、木も青い.これを描いた男、きっとこれを石けん液につけたにちがいねえ!」笑っていない者は怒りくるっていた.絵の青みがかった色調、光の効果の新しい表現性も、彼らには侮辱としか思えなかった.このような芸術の侮辱をだまって見過ごしていいのか?[…]一方、何にでも凝り性のような一人の小柄な男が、連れている娘に教えようと、カタログをしらべ、この絵の説明を見ては大きな声をはりあげて、「プレネール!」とタイトルを読んだ.それを聞いて、周囲では、またしても激しいさけび、嘲笑が、どっと起こるのだった.そのタイトルが口から口へと伝わり、くり返され、さまざまなコメントがとび交った.「外光(プレネール)、うん、そうか、野外、青天井、おなかの日向ぼっこか.はだかの日向ぼっこよ、野っぱらでの ......」(pp. 233-234)

 

3) […]Voilà qu’elle devenait sa propre rivale, qu’elle ne pouvait plus regarder son ancienne image, sans être mordue au cœur d’une envie mauvaise ! Ah ! que cette image, cette étude fait d’après elle, avait pesé sur son existence ! Tout son malheur était là : sa gorge montrée d’abord dans son sommeil ; puis, son corps vierge dévêtu librement, en une minute de tendresse charitable ; puis, ce don d’elle-même, après les rires de la foule, huant sa nudité ; puis, sa vie entière, son abaissement à ce métier de modèle, où elle avait perdu jusqu’à l’amour de son mari. Et elle renaissait, cette image, elle ressuscitait, plus vivant qu’elle, pour achever de la tuer ; car il n’y avait désormais qu’une œuvre, c’était la femme couchée de l’ancienne toile qui se relevait à présent, dans la femme debout du nouveau tableau. (p. 312)

とにかく、いまや彼女自身が彼女の恋仇となった.彼女はもはや、激しい憎悪に心をさいなまれることなしに、以前の絵を見ることができなくなった.思いかえせば、彼女を描いたあの絵、あの姿が、これまでずっと彼女に重苦しくのしかかっていたのだ.彼女の不幸のすべてが、あの絵から生じたのだ.つまり、あの眠っていたときに胸をあらわにしたことが、そもそも事の発端だったのだ.そして、つい情にほだされて服を脱ぎ、処女の身をさらしたのだった.ついで、作品の中の彼女の裸が群衆の嘲笑を浴び、その直後、彼女はその身のすべて彼に与えたのだった.それからというもの、彼女の全生涯は、モデル稼業にと転落、あげくの果て、夫の愛まで失うはめとなってしまったのだ.一方、絵の中の女は生き返った.しかも彼女よりはるかに生きいきと復活し、彼女を完全に殺してしまうにいたった.いまや、存在するのは絵の中の横たわった女だけ、そしてその女は、新しい絵の中にすっくと立ち上がっていた.(下、pp. 112)

 

4) Oui, il était bien avec l’autre, il peignait le ventre et les cuisses en visionnaire affolé, que le tourment du vrai jetait à l’exaltation de l’irréel ; et ses cuisses se doraient en colonnes de tabernacle, ce ventre devenait un astre, éclatant de jaune et de rouge purs, splendide et hors de la vie. Une si étrange nudité d’ostensoir, où des pierreries semblaient luire, pour quelque adoration religieuse, acheva de la fâcher. […]

Il ne répondit pas, il se baissa encore pour tremper son pinceau, et fit flamboyer les aines, qu’il accusa de deux traits de vermillon vif. […]

Hagard, il ne la regarda pas, il lâcha seulement d’une voix étranglée, en fleurissant de carmin le nombril :

-- Fous-moi la paix, hein ! Je travaille. (pp. 401-402)

そのとおり、彼はまさしく他の女といた.そして気の狂った妄想家然と、その女の腹部と太腿を描いているのだった.なお、真実への渇きが昂じるのあまり、その腹、その腿を、おそろしく非現実的なものに仕立てていた.両脚は、祭壇の円柱のごとく金色に塗られ、腹部はといえば、華麗をきわめ、およそ自然の生気とはかけはなれたどぎつい黄色と赤色にきらめく天体のようになりはてていた.まるで宗教的な讃仰をこめて聖体顕示台さながらに宝石をちりばめ輝かせた、まこと奇妙奇天烈な女の裸体像である.とうとう、クリスティーヌの怒りが爆発した.[…]

彼は何も答えず、なおも筆に絵具をつけるため、身をかがめた.そして鮮やかな朱色の二本線で、女の下腹部を燃え上がるように際立たせた.[…]

険しい顔付きで、彼は妻には一瞥もくれず、女のへそを濃い紅色の花で飾り立てながら、のどのつまった声でどなった.

「うるさい! 仕事してるんだ」(pp. 282-283)

 

エミール・ゾラは19世紀後半、フランスの自然主義を代表する作家です.緻密な調査を基に、社会の様々な様相、特に貧しい労働者の暮らしぶりを描きました.『制作』の主人公は南仏出身の画家クロードです.同郷の友である小説家のサンドーズも登場するので、モデルはエクサンプロヴァンスの中学校以来のゾラの友人のセザンヌであるともとれます.実際、画家が、この本を贈られて書いた礼状を最後にゾラと絶交してしまったことはよく知られています.しかし、引用(1)の絵の描写は、明らかにマネの『草上の昼食』に着想を得ています.絵の後景、薄暗い森の奥には陽の光の差し込む箇所がエメラルドグリーンで塗られ、そこで白っぽく光る水に膝までつかった女性が、身をかがめて水浴しています.(ゾラの描写と違って、女性は一人ですが、背を曲げた様子は引用(2)にある馬とび遊びの姿勢にも見えます.)前景はピクニックをしている男女3人で、着衣の男性の黒い上着と対比して浮き上がって見えるのは、彼らと向かいあって草の上に坐りながら、こちらをうっすら微笑んで見つめている女性の裸体の光をあびた白さです.色使い、タッチはダイナミックで、光のあたり方によって色彩を変化させる葉むらの緑のグラデュエーションが大胆に捉えられています.丁寧に色や陰影を重ねて行く伝統的な絵画と違い、大ぶりな筆致のため、印象派画家たちの絵は「下絵のようだ」と当初揶揄されますが、クロードの描きかけの絵も、下絵の状態の未完成な力強さが強調されているのです.

マネの絵とクロードの絵の関連は、引用(2)で一層はっきりします.これは、「サロン落選展」で展示された引用(1)の彼の絵に観覧者が非難を浴びせる場面です.現実に、1863年の落選展では、『草上の昼食』が大スキャンダルを起こしたことは近代美術史上重要な出来事です.これまでの伝統では、女性の裸体を描くときは、神話や聖書を題材にするのが決まりでした.全く現代の日常の光景、しかも着衣の男性のそばで、一糸もまとわぬ女性が娼婦のように平然と坐っている姿の破廉恥さ、しかもこの女性は女神のような理想家された肉体ではなく、どこにでもいるような現実的な裸身を露にしているのです.それまでの画家はアトリエの人工的な光の下で仕事をしましたが、カンヴァスを屋外に持ち出し、外光の中で(plein air)、先入観にとらわれず見たままの光の効果と色彩を絵にしたのが、マネとそれに続く印象派画家です.それは当初はなかなか受け入れられず、木々の緑が反射する女性の肌を青みがかった色で表現するテクニックの大胆さが引用でもやり玉に上げられています.ゾラは美術批評でも知られていましが、特にマネを擁護するべく筆をふるいました.1867年に『十九世紀評論』に発表したマネ論では、『草上の昼食』は、「非常に乱暴なようで、色調は類い稀なほど活力があって、極めて力強く」、「輝くような」色彩が「大まかでエネルギッシュ」に塗られていることを賞賛し、画家にとって「主題は描くための口実にすぎず」、着衣の男性に対して裸婦を配したのは黒と肌色の「生き生きとした対比と鮮明な色の広がり」を表現したかったにすぎないという引用(1)にもある指摘をし、後景で「緑の葉むらのまん中で素晴らしい白色」で描かれた水浴する女性の姿にも注目するのです(Zola, Edouard Manet, 吉田城編、青山社、pp. 24-25)

前方の裸婦像のモデルは、小説の中では、クロードの妻となるクリスティーヌです.ある激しい雷雨の夜、地方から到着したばかりで、御者に置き去りにされて雨宿りしている彼女に、彼は宿を提供します.翌朝、しどけない寝姿の彼女を夢中でデッサンし、後に恋人となると絵のモデルをしてもらうのです.落選展での失敗から長い年月を経て、明るい色彩の外光派は後継者たちによって画壇の主流となりますが、クロード自身は不遇の日々を送ります.クリスチーヌと結婚して息子までもうけた後、クロードは偶然、彼女を描いた『外光』を見つけ、再び裸婦を中心においた大作にかかることになります.仕事中の彼にとって、妻は単なるモデルとしてしか見えなくなり、かつての裸婦像と若さを失いつつある彼女の肉体の差異を残酷に口にします.引用(3)にあるように、クリスティーヌにとって、絵の中の若々しく光り輝く自分は、次第にライヴァル、自分の命をも脅かす敵となるのです.芸術につかれた夫は気が狂ったようにカンヴァスに向かい、絵の女は夫の心を独占する恋敵のような存在になるのです.絵の中の彼女の分身が「はるかに生きいきと復活し、彼女を完全に殺してしまうにいたった」のに対し、引用の直後では、「モデルに立つごとに、クリスティーヌは年老いていくのを感じた」という一文があります.絵に描かれた自分に生気と若さを吸い取られるという不気味なモチーフは、イギリスの作家オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』(1890)をも思わせるでしょう

クロードをなんとか絵から引き離そうとするクリスティーヌ.彼が問題の裸婦像よりもその周囲の部分から筆を入れているのが唯一の慰めでしたが、ついに裸婦像に夫が色を塗り始めるところに出くわします(引用4).夫が他の女と密通している場面を押さえたときのように、彼女の受けた打撃は大きいのです.しかも、夫は今やこの像を、モデルである自分とは似ても似つかぬ恐ろしい姿にするべく、気違いじみた色を恍惚として塗りたくっています.金色に塗られた両脚、「どぎつい黄色と赤色にきらめく」腹部.この色彩感は印象派の理論を越え、写実性を離れた色彩の自由な使用がみられ、ゾラの『制作』発表後のさらに現代的な画法を思わせます.平塗りされた極彩色の対比、中でも腹部に花咲く濃い紅色は、例えば大原美術館蔵の『かぐわしい大地』等のゴーギャンの絵のようです.クロードの画風の変化は、彼の狂気の進行だけでなく、近代絵画史の流れを反映しているといってもいいでしょう.

ところで、この不気味な異教の女神の偶像は、妻でありモデルであるクリスティーヌにとって、自分に対する冒涜に他ならないものでした.怒り狂った彼女は夫に詰め寄り、彼を正気に返らせて、その夜はベッドを共にします.しかし、彼女が芸術の女神に打ち勝つことは結局不可能でした.明け方、「アトリエの奥から彼を呼んでいる高い声」の幻聴に急かされるように彼は寝室を抜け出し、とうとう絵の真正面で首を吊って死ぬのです.眼球のとびでた顔を絵の方に向けて、「あたかも最期の息で女の体に魂を吹きこもうとするように」.作品にとり殺された芸術家の悲惨な最期でこの小説は幕を閉じるのです.

 

 

マネ『草上の昼食』(オルセー美術館)         ゴーギャン『かぐわしき大地』

 



[1] 瀝青(goudron)天然アスファルトのことで、焦げ臭いような香りがする.油瀝青という名の植物はアジア、主に中国産.